ハルパパのリウマチ奮闘記

リウマチ歴10年目、2人の男の子を育てつつ、漢方と食事療法でどこまで治せるかチャレンジ中。過去のリウマチ話や日々の経過、家族との日々を綴っていきます。

リウマチ✖️農業

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猛烈に暑いですね。。

本日はPTAの集まりで長男が通う小学校に、次男を保育園に預けつつ猛スピードで向かいました。今朝は寝坊してしまいお灸の時間が取れず、朝の痛みを引きずりながらのスタートになってしまいました。。次男の重さがプラスされ、自転車をこぐ足が痛みます。しばらくすると足の痛みも和らいできます。

ギリギリセーフで小学校に滑り込みました。PTA内の郊外委員の役を近所のお母さんから引き継ぎました。PTAに関しては、怖い・負担が大きい・ブラックなどなど恐ろしい話を聞いていたため、初めはビクビクしていましたが。郊外委員の仕事に関しては、集団登校の見守りや運動会時の門番など仕事量は年間通して多いものの、前評判ほどの恐ろしさはありませんでした。働いている保護者さんも多いため定例会もサクサク進んで、もどかしい会議ということもなく安心しました。ただ、役職としては、スクールゾーン委員の副リーダーになってしまい、警察や区役所などを招いての協議会開催とその準備はソコソコ大変でした(^_^;)

本日はスクールゾーン協議会後の議事録確認等少し時間がかかり、2時間ほど座っていたため、足が固まって痛みが。。立ってても痛い、座ってても、、、本当に困ったものです。

 

本日も、昨日に引き続き、リウマチになった頃のお話をさせていただきます。

進行を続けていたリウマチですが、総合病院で処方された新薬のお陰で幾らかブレーキがかかり落ち着いていました。ただ相変わらず指の痛みや微熱、吐き気で憂鬱な日々は続いていました。そんな中、リウマチの痛みだけではない社会生活に及ぼす影響もあることを知らされることになりました。

当時働いていた農場の社長から呼び出されました。そこで告げられたのは、このままこの仕事を続けられるのか?そんな体じゃ無理じゃないのか?と言う実質的に病気の人間の追い出しのような内容でした。確かに経営者としては残酷な決定も仕方がないとは理解しつつもショックでした。。

その数日後、社長の気が急に変わったのか、やはり管理者としてアルバイトをまとめて欲しい、続けて欲しいと言ってきました。ただ私の会社への気持ち

はスッカリ離れてしまっていました。当時長年付き合っていた彼女との結婚も考えており、地元近くて農業ができるという話も来ていました。そのため、この戦力外通告を機に退職することにしました。

ただ、リウマチを持つ人間が、農業を続けることの難しさに私はまだ気づいていませんでした。。