ハルパパのリウマチ奮闘記

リウマチ歴10年目、2人の男の子を育てつつ、漢方と食事療法でどこまで治せるかチャレンジ中。過去のリウマチ話や日々の経過、家族との日々を綴っていきます。

リウマチが発症した春

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確かちょうど10年前の春でした。

 

私は秩父にほど近い農場で働いていました。ここの夏の猛烈な暑さもさることながら、冬の厳しさも相当のものですした。冬は毎朝氷点下3~5度以下に下がり、車の窓ガラスは凍りつき真っ白になってしまうので、出勤間際に湯を沸かしフロントガラスの氷を溶かしてから通勤していました。氷点下7度近くに達すると凍てつく寒さになります。指先と足先は痛みを通り越して感覚を無くしてしまいます。

北海道生まれの先輩が、『北海道は雪があり湿気のある寒さは実際の気温ほど寒く感じない。ここの乾燥した寒さは底冷えがひどい。』とよく言っていました。

 

働いていた農場では、野菜栽培と酪農の両方を生業としていました。私は野菜栽培をメインに行っていましたが、冬の間は酪農の方も手伝っていました。

酪農は朝5時から仕事が始まります。この時間の寒さは空気まで凍ってしまったのかと思うほどです。そんな中寒さで固まった体を無理矢理に動かし、牛の餌作りをします。100頭近くの巨体を満足させなければなりません。牛1頭が1日に食べる餌の量は30キロ。餌専用の巨大なミキサー車に牧草を圧縮したキューブや穀物飼料類、添加剤等をボンボン放り込んで大量の餌を作ります。圧縮した牧草は実に重く、それを手でフォークリフトに放り込む作業が中々の重労働でした。この酪農の仕事が引き金になったかどうかは定かではありませんが、病魔が私の体に忍び寄ってきていました。。

 

野菜の収穫が始まった初春、両手の異変に気が付きました。両手の指の関節が痛い。しかも少し腫れもありました。第2関節だけです。指を使いすぎて疲労が溜まってるのかな?とあまり深刻には考えておらず、すぐには医者に行きませんでした。しかし、しばらく様子を見てもよくなる兆しはなく、腫れと痛みが強くなっていきました。ここで、流石にやばいと思い、埼玉で掛り付けにしていた医者に相談しました。すると、まさかの返答が。

これは、、リウマチかもしれません。。