ハルパパのリウマチ奮闘記

リウマチ歴10年目、2人の男の子を育てつつ、漢方と食事療法でどこまで治せるかチャレンジ中。過去のリウマチ話や日々の経過、家族との日々を綴っていきます。

リウマチ✖️農業 その2

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本日は、子供達にお馴染みのザリガニ公園で水鉄砲大会が開催される(とは言えそこまで大事ではありませんが。)ため、息子たちはマイ水鉄砲を抱えて飛び出して行きました。通常なら私もホイホイと付いて行くところですが、妻だけが一緒に行くことになりました。この暑さの中行かない方が良いと妻が促してくれました。日々フルタイムで働く妻には申し訳ないです。結局私は陽が傾くまで家に閉じこもっていました。午後4時ころになり、ようやく涼しくなったため次男と一緒に行きつけの美容室へ行き、その足で近所のスーパーで開催された夏祭りに参加してきました。息子たちはすかさず光るオモチャの列へ駆けて行きました。

この土日はそれほどの活動量ではなかったのか、コンディションが通常の週末よりも良い感じです。妻には感謝ですね。

 

本日はそんな妻と結婚した頃のお話をさせていただきます。私が本格的に農業を始めた頃です。

酪農のサブとして農業を行なっていた法人を退職し、知り合いの紹介でちょうど地元近くで農業をスタートさせることができました。長年付き合っていた彼女は、リウマチ持ちの私に嫌気をさすこともなく転職を機に結婚することになりました。秩父よりも気候が温暖な地だったため、幾分リウマチにも良いのではと考えていましたが、そうは簡単には行きませんでした。やはり、本格的な農業は秩父のそれよりも体力的にきつく、過酷なものでした。秩父では、私以外にも従業員やバイトがいたため作業を分担できていましたが、こちらでは時たま手を貸してくれる人間がいるだけでほぼ1人で作業を行なっていました。畑への堆肥投入や野菜の床作り、野菜の管理作業、収穫、洗浄と梱包、輸送まで、どれも人力で行っていました。

特に畑づくりは、大変手間がかかりました。一反(300坪)ほどある畑に一袋20キロの堆肥を40袋ほど撒いたり、小さな耕運機に体を振り回されながら耕したり、鍬を使って野菜床を作ったり、秩父にいた時には無かったような重労働ばかりでした。ただ、当時はリウマチだったものの元気ではあり、その作業にも疑問を持たず当然のようにこなしていました。

さらに農業で大変なのは畑づくりだけではありません。収穫とその野菜の洗浄が大変です。単価が比較的高いということでカブを多く作っていましたが、一回の収穫量は500キロほど。それを軽トラで作業場に運び、一つ一つ余分な葉を取り洗浄します。洗浄機では完全に泥が落ちず結局手洗いでカブを洗います。当然野菜を洗うので冷たい水を使用します。作業場の床はコンクリートですので、手足は常に冷え切っていました。洗浄が終わったあとは結束作業です。当然ながら日本のスーパーで売っている野菜はどれも袋詰めもしくはカラーテープで結束されています。カブも同様にサイズごとに結束するため多くの手間がかかりました。結束したカブは、コンテナに詰め冷蔵庫に入れておきます。洗浄から梱包までの作業で6~7時間ほどかかってしまいます。収穫だけなら2時間もかからないので、ほとんどの時間がが野菜を商品にする作業が占めています。その商品化作業後に畑の管理に行くため、最盛期の労働時間は12~15時間ほどになりました。当然のことながら、私のリウマチはさらなる暴走を始めます。。